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家庭菜園を大きくしたような農業で食べていけるのか?

自然・農園のこと
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多品目栽培と里山的な暮らしを仕事にするという選択

「家庭菜園を大きくしたような農業では、食べていけない」
新規就農を考えると、多くの人が一度はこの言葉にぶつかります。
多品目栽培は非効率で、収入が安定せず、結局は単一作物に絞らなければ生活できない――
そんな前提が、今も農業の世界には強く残っています。

では本当に、家庭菜園の延長のような農業では食べていけないのでしょうか。
私たちは、これから新規就農し、多品目栽培や里山的な営みを含んだ暮らしを、この地域でつくっていこうとしています。
この記事では、「食べていけるのか?」という問いに、私なりの考えを整理してみたいと思います。

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家庭菜園の延長では食べていけない、と言われる理由

現代農業は「効率」を前提に組み立てられている

現代の農業は、効率を重視する構造の中で発展してきました。
単一作物をまとめて作り、規模を拡大し、作業時間あたりの収益を最大化する
その考え方自体は、とても合理的です。

この前提に立つと、家庭菜園の延長のような農業は、どうしても不利に見えてしまいます。

多品目栽培が不利だとされてきた3つの理由

多品目栽培が敬遠されてきた理由は、大きく3つあると考えています。
ひとつは管理が複雑になること。作物ごとに手入れの時期や方法が違い、労力が分散します。
ふたつ目は数量がまとまらないこと。出荷量が少ないと、流通に乗せにくくなります。
そして三つ目が、規格外や不揃いの野菜が多く出ることです。

こうした理由から、「家庭菜園の延長では食べていけない」と言われてきたと考えられます。

それでも多品目栽培に惹かれてしまう理由

里山では「家庭菜園的な暮らし」が当たり前だった

それでも私たちが多品目栽培に惹かれるのは、里山での暮らしを思い浮かべるからです。
畑で野菜を育て、山や竹林を手入れし、養蜂をする。季節の流れに合わせて、できることを少しずつ暮らしに取り入れていく。そこでは、多品目であることが特別ではありませんでした。

仕事と暮らしが分断されていなかった時代

当時の営みの多くは、金銭的な価値に換算されていませんでした。
仕事と暮らしが分断されておらず、「稼ぎ」ではなく「生活」として存在していたからです。
その結果、経済の物差しの中では「なかったこと」にされてきました。

「値段がつかない=価値がない」という思い込み

家事労働が長く「無価値」とされてきた構造

この構造は、家事労働とよく似ています。
料理や掃除、育児は生活に欠かせないにもかかわらず、長い間「無償で当たり前」「誰の仕事でもないもの」とされてきました。
近年になって、ようやくその価値が言語化され始めています。

(ちなみに、こうゆう観点の話に興味がある方はカトリーン・マルサル著の「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話」という本がおすすめです。)

多品目栽培や里山管理も同じ構造にある

多品目栽培や里山の管理も同じです。
お金にならないのではなく、値段をつけるための言葉がなかっただけ。そう考えると、「食べていけない」と切り捨ててしまうのは、少し乱暴に感じられます。

多品目栽培で生きるには「信頼」が欠かせない

不揃い野菜・間引き菜は説明がなければ不安を生む

とはいえ、理念だけでは野菜は売れません。
道の駅や産直に、不揃いの野菜や間引き菜が並んでいれば、「なぜこんな野菜を売っているのだろう」と感じる人もいるでしょう。価格の安さではなく、「理由」が必要です。

野菜ではなく「生産者」を見てもらうという発想

だからこそ重要なのが、生産者を知ってもらうことです。
どんな考えで野菜を作っているのか。どんな暮らしを選び、この地域で生きようとしているのか。その背景が伝わってはじめて、不揃いの野菜にも意味が生まれます。

大切にしたい伝え方

無農薬・有機という言葉だけでは伝わらないこと

私たちは、無農薬や有機といった言葉だけで評価されたいわけではありません。
それらは大切ですが、方法論だけが一人歩きしてしまう危うさも感じています。

よそから来て、生活と向き合っているという事実

よその地域から移住し、この土地で暮らすことを選んだ理由。
なぜこの規模で、多品目なのか。
なぜ不揃いの野菜や間引き菜まで売るのか。
そうした背景そのものを、丁寧に伝えていきたいと考えています。

「家庭菜園を大きくする」という言葉に込めた意味

規模拡大ではなく、価値の言語化

私たちが言う「家庭菜園を大きくする」とは、単に面積を広げることではありません。
これまで値段がつかなかった営みに意味を与え、仕事として成立させることです。

農業の主な担い手だった方々は引退が加速し、「田舎のおじいちゃん・おばあちゃんから野菜やコメが送られてくる」なんてことが贅沢な時代になろうとしています。

地域資源を使い切らず、循環させる農業

多品目栽培は、地域の自然環境や景観を守りながら、資源を循環させる力を持っています。その積み重ねが、地域の魅力をつくっていくと信じています。

多品目栽培で「食べていく」とはどういうことか

大きく儲けること=成功ではない

多品目栽培で食べていくとは、大きく儲けることではありません。
無理をせず、続けられる形で暮らしを成り立たせることです。

地元の人にとっての「当たり前の選択肢」になる

「あそこの野菜なら大丈夫」
そう思ってもらえること。それが、私たちにとって一番強い価値です。

家庭菜園を大きくした農業は、食べていけないのではなく「伝えられてこなかった」

家庭菜園を大きくしたような農業は、決して価値が低いわけではありません。
問題は効率ではなく、価値を言葉にしてこなかったことにもあるのではないでしょうか。

多品目栽培や里山的な暮らしを通して、その価値を翻訳し、地域に根ざした農業をつくっていきたいと考えています。

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